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2009年2月

2009年2月 8日 (日)

河合隼雄×茂木健一郎「こころと脳の対話」 

・河合隼雄さんと茂木健一郎さんの対談集である「こころと脳の対話」を読みました。

河合隼雄(かわい・はやお)さんは、臨床心理学者であり、夢分析で著名なユング派精神分析家の大家です。

京都大名誉教授を経て、文化庁長官になられましたが、この対談のあと、2007年に逝去されました。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)さんは、ご存知の方も多い、「クオリア(感覚質)」と手がかりに、脳と心の謎に挑む新進気鋭の脳科学者です。

河合隼雄さんの逝去後、2008年7月に発行された本書ですが、

率直に言って、面白かったです。

臨床経験豊富な河合氏の、人間の本質である「こころ」に対する見方・考え方が実に奥深く、私の人間の「こころ」に対する見方が変わった、そんな本です。

本文中で、茂木氏も河合氏の見識に大変絶賛されております。

こころと脳の専門家であるお二人が「こころ」と「脳」という人間の本質に関わってくる部分に対して、踏み込んで、お互いの意見を展開しながらも、臨床経験の豊富な(ご高齢ですが)河合氏に、茂木さんが「脳科学では、こういう研究がされていますが、精神分析の立場からはどう考えられますか」といったスタンスで聞くという姿勢で、対談が行われていました。

その中で面白かった、部分を紹介しようと思います。

・アインシュタインは1905年の特殊相対性理論の論文を引用文献ゼロ!!で書いている。

E=mc(2乗)を証明した有名な論文。

⇒アインシュタインは天才だった。一方、現代の科学では引用文献にがんじがらめで無用なきまりごとが多すぎる。

◎変化という可能性に注目する

箱庭療法では、精神状態を「診断」するのではなく、「可能性」のほうに注目する。

そのひとがどう変わっていくのか、どう発展するか。

◎話の内容と、こちらの疲れの度合いの乖離(かいり)が、ひどい場合は相手の症状は深い。

カウンセリング場面で、わりと普通の話をして帰っていったのに、気がついたらものすごく疲れている場合、その人の症状は深い。

⇒こちらが側が相手と関係を持つためにものすごく苦労してしまうから。

そういう人はやっぱり人に嫌われる。

なぜなら、そういう人と会ってるとみんなしんどくなるから。

○シンクロニシティ(同時性・同一性;通称「シンクロ」)

なんとなく無意識に何かものを「これだ」と思い、選ぶときも、因果的に外の物と物が結びついて”因果的”に選んでるのではなく、”非因果的”に、自分の無意識が、外の物として呼応しているのであって、「今、こういう情報が必要だから、この本を読もう」と意識とか合理性のレベルで行動が起こっているわけではない。

⇒無意識で動いているものが外に出てきたりするし、その出てきたものの背後には無意識がある。

無意識は重要。

「オヤジが酒を飲むから子どもが悪くなる」といったように、現代の世の中はどんなことでも正確でない単純な因果関係を作って、その因果的な思考でがんじがらめになっている。それを解きほぐすのがセラピストの役目。

解きほぐし、無意識を解放することにより、その人の世界はもっと豊かで広くなる。

◎夢の意味

例えば、ある人に「お金を貸して欲しい」というと、その人は自分にとってはお金を貸してくれるかもしれない人だから、その人を尊敬せざるを得ない気持ちでいる。だから、「親切そうないい人」というのが、自分の意識目的に適っている。

ところが、自分の中の「クオリア」では、「変なおっさんだな」というのもやっぱりどこかで思っているわけだ。それは意識化されない。「変なおっさんだな」というのと「いい人だ」というのが矛盾するわけだ。しかも、意識の上では矛盾せずに。そして帰って寝る。そうすると、寝ているあいだ、その変なほうが動き出す。それを夢に見る。

分かりやすく言うと、私たちが生きているということ自体、ものすごく無理をしている。それを無理しているだけではもたないから、寝たときに調整するわけだ。その全体性の中に調整する動きを、脳の中で視覚的に把握したものが夢ではないか、と思っている。

○全体に平等に注意を向ける

アテンション(注意)は方向性を持っている。意識としてパッと方向性を持つ。しかし、「気に掛かる」というのはふっと出てくる。今の意識とは関係ない、遠いほうから出てくるものであるから、「気に掛かる」というものを大事にしたほうがいい。

フロイトの有名な言葉で、クライアントの人が来られて、お話しを聞いているときは、「平等に漂える注意力を持って」という。英語でいうと、「フリー・フローティング・アテンション」。こらはパラドックス(逆説)だ。なぜなら、アテンションは方向性を持っているが、それを持たないアテンションだから、相手のどこかに注意するのではなく、全体に平等に注意を向ける。そして、ふっと気になるもの、それが大事。

以上、河合隼雄さんのおことばから重要な容姿をまとめてみました。

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2009年2月 1日 (日)

斎藤孝さんによるある本の書評:好きなことを仕事にした男の本から学ぶ

明治大学教授の斎藤孝さんが、ある本の書評で、とても面白い書評を書かれていたので紹介します。
(内容や順序は多少私が改変してあります)

「信なくば立たず」

という孔子の言をあげて、
ある学問の創始者の生き方を表現しています。

彼(創始者)が、あるモノにあこがれを持ち、あこがれを持ったモノを一目見るために、困難な問題にも立ち向かい、結果としてそれを目の当たりにすることができ、あこがれていたものを見ることによって出会いが生まれ、それによって興奮し、興奮した結果、(そのモノの美に魂を奪われて研究の道に入り)、ハイテンションになり、ハイテンションな横断力により猛烈なスピードで大量の資料を調べ尽くす、(これは、と思ったものにとことん食らいつくスッポン力)、そして、彼(創始者)は、学歴がないため学者たちから差別されたが、受難を情熱に変えるパッション力で乗り越えた…

「学歴が無くても、職人としての仕事は残る」と覚悟を決め、彼が研究対象としていたモノを作った無名の職人たちが、あこがれの先行者として、彼に使命感(ミッション)を与えてくれた。

つまり、
「あこがれ→出会い→興奮→探求→表現」

が彼(創始者)流の仕事の見つけ方だったわけです。

また、斎藤氏は、「幸福な人生とは?」
という問いに対して、
「答えは多様だが、仕事に没入できた人生は幸福だと言える」
という私論を交え、

好きなことを仕事にしたい、という純粋(時に安易)な思いが世に広まり、若者たちをむしろ仕事から遠ざけているという皮肉が生まれているが、(この本を読むと、)「好きなことを仕事にし、一流になるためには、執念とも言える職人魂が必要だと思い知らされた」と語っています。

斎藤氏は、このある学問の創始者の生き方を通して、

一読後、思わず、
「ミッション!パッション!ハイテンション!!」

と力が入ったそうです。

様々な、過去の日本文学の良さをあらためて現代によみがえらせたり、日本語の意義・活用法に関する本を多数執筆されている、斎藤氏らしい、ある分野で活躍した偉人の生き方から、現代でも使える有用な教訓を得るという意味で、うまく端的にまとまった、名言であるなぁと思いました。

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